0

美甘養蜂園について

美甘養蜂園のこだわり

昭和30年から続く大自然での養蜂

大自然での養蜂

美甘養蜂園の始まりは昭和30年。現社長の母にあたる先代が、5群の蜂箱を飼育し始めたところからスタートしました。そこから徐々に数を増やし、5年後には四国地方へみかんの採蜜へ。そして農業から養蜂業に転換しました。

当養蜂園があるのは、岡山県北東部地域の津山市です。このあたりは盆地で朝夕の寒暖差が大きいため、れんげの花をはじめとするさまざま花が豊富に蜜を貯える好条件となっています。こうした環境もあり、50年程前から知識と経験、技術を生かし、大自然の花から採取したはちみつを皆さまにお届けするために努力を続けています。

ミツバチ愛情から生まれる希少性の高いはちみつ

美甘養蜂園にいるミツバチは現在700群。そのすべてに愛情をかけ、広大な自然の中で育てています。天然のはちみつは、ミツバチの恵み。一滴一滴大切に集めて皆さまのもとへお届けします。高品質で希少性の高い国産はちみつを、ぜひご堪能ください。

大切な人への贈り物にもぴったり

美甘養蜂園の蜂蜜はギフトにもオススメ

お中元やお歳暮としてはちみつギフトの購入をお考えの方は、美甘養蜂園の通販をぜひご利用ください。美容と健康維持におすすめの商品をネットからお買い求めいただけます。

良質な生ローヤルゼリーを瞬間凍結乾燥させたローヤルゼリー500、ミツバチが創り出す天然の物質プロポリスは贈答品にも最適で、ギフトとしても人気です。またみかん蜜・柚子蜂蜜漬・百花蜜のセットやコクのある上品な風味を味わえるカリン蜂蜜漬、ぜんざいと山蜜、柚子蜂蜜漬のセットなど、バラエティー豊かな商品を取り揃えております。自然の恵みたっぷりのはちみつは贈答品だけでなく、ちょっとしたプレゼントとしても人気があります。

おいしいギフトで喜んでほしい、そしていつまでも健康に過ごしてほしい。美甘養蜂園はお相手のことを想い、心をこめて贈り物がしたいという方へ、大自然の恵みが詰まった商品をご用意しております。

 

美甘養蜂園のはちみつができるまで

はちみつを作る環境は毎年違います。私たちは天候の変化を見極めながら、ミツバチたちを移動させて育成し採蜜するのです。
おいしくて質の高いはちみつを作るため、一年を通してミツバチと向き合い、工夫を続けています。

1月 一足先の春の温もりを採りに、一部のミツバチたちは暖かい高知県へ移動させます。
高知県ではミツバチたちに餌を与えて育成。岡山県へ残ったミツバチたちは桃、いちごなどのハウスへ交配のお手伝いで貸出されます。
(1月から3月は手作りで蜂箱、巣枠を作ります。ミツバチたちの巣になる巣礎張りをし、蜂箱を手入れします)
4月上旬 ミツバチたちは高知県から岡山県へ帰還します。
採蜜に向け、岡山県北部の各地へ蜂箱を配ります。
4月中旬 ミツバチたちが集めてきたはちみつ(れんげ蜜、百花蜜)を採蜜します。
5月初旬 みかんの花の蜜を求め、愛媛県大三島へ一部のミツバチたちを移動させます。
岡山県ではミツバチたちが集めてきたはちみつ(山蜜)を採蜜します。
5月中旬 愛媛県でみかん蜂蜜の採蜜をします。
6月下旬 ミツバチたちは採密後、岡山県へ帰還。避暑のため岡山県北部の涼しい山へと移動させます。
そこで新しい女王蜂へ交代するための手入れをします。
11月 寒い冬がやってくるため、岡山県北部の山より暖かい津山周辺へミツバチたちを移動させ、管理します
12月下旬 岡山県より暖かい高知県へと移動がはじまります。

 

代表あいさつ

はちみつおやじのこだわり

美甘養蜂園

私たちは、大自然の花から採取したはちみつを皆さまに提供しようと日々頑張っています。昭和30年、(現)社長の母が5群の蜂箱から飼育をはじめ徐々に増やしていきました。5年後には四国地方へみかんの採蜜へ行くようになり、農業から養蜂業に転換していきました。

当養蜂園のある場所は岡山県北東部地域の津山市です。このあたりは盆地で、朝夕の寒暖差が 大きいため、れんげの花をはじめ、いろいろな花に豊富な蜜を貯える好条件となっています。こういった環境をもとに50年程前から知識と経験、技術を生かし、上質な多種のはちみつを求め頑張っています。
 

50年以上ミツバチと共に歩んだ「美甘明」の話

昭和24年 昭和24年8月12日、働き者で頑固な父「美甘 正夫」と、優しくて世話好きな母「美甘ニ三子」の待望の長男として産まれました。
小学校1年生 小学校1年生の頃、母親がミツバチを三郡からかい始めます。
高校1年生

高校1年生(16歳)で車の免許を取り、母親と軽トラックで高知へ蜂の手入れに行きました。
現在のように車に暖房もなく、道路も整備されていなかったので湯たんぽをして12時間かけて夜通し走り、夜明けとともに作業(採蜜・巣の手入れ・餌やり)する大変なものでした。

高校卒業 高校卒業後、家業の農業、果樹(ブドウ・桃・イチジク・りんご・柿)、野菜(大根・白菜・青瓜・サツマイモ)と養蜂を手伝うようになりました。
30歳頃 30歳頃からスーパー(イズミ・アイム天満屋)、高島屋で店頭販売をするようになりました。
販売するのにはちみつを忘れて、子どもを積んで嫁さんが後から行ったこともあります。
平成元年 平成元年4月に有限会社美甘養蜂園を設立。
蜂の手入れのため蜂場で作業しているときマムシに噛まれ、父親に毒を吸ってもらっただけでそのまま作業。早く血清を打たなかったため瀕死の状態になり入院しました。(感覚のないまま車を運転していました)
現在 昔はギフトの箱も手作り・製材してもらって自分で組み立てていました。
山で製材をし、2人でユンボとトラックで木を運び、木の皮をむき、大きな丸太でログハウスを作りました。
蜂に対していつも人間よりも愛情を持って、蜂の立場に立っていろいろと作業しています。現在、蜂は700群。四六時中蜂のことを考えています。

 

Top